見たことがないものは描けない

2020.11.30

見たことがないものは描けない

いいデザインはいいものを見ることから

 

言葉は聞いて覚える

英語の発音がいい人は、耳がいい人と言われます。耳がいいというのは、ヒアリング力がある人です。考えてみれば当たり前なのですが、聞いたことがない言葉を発音しようとしても発音できません。英語ならなんとなく聞き覚えがあるかもしれませんが、ロシア語やフランス語、いや、聞いたこともないような言語だとまったく理解できないでしょう。ちなみに世界には6000~7000の言語があると言われています。
私も英語はほとんどできなかったんですが、30代半ばから海外を頻繁に旅するようになって、英語の必要性に駆られて英語を覚えましたが、最初はイヤフォンを耳に突っ込んで、ずっとCNNなどの英語ニュースを聞き続けていました。

赤ちゃんが話せるようになるのも、お母さんがずっと話しかけるので、その言葉から覚えていきます。もともと文字は存在してなくて、話し言葉しかなく、例えばネイティブアメリカンやアイヌには書き言葉がなく、物語や文化は口伝で伝えられていました。文字を持っている文化は意外に少ないのです。つまり、言葉は聞いて覚えていたと言うことです。

 

技は自ら考え盗むもの、教えられるものではない

言葉が聞いて覚えられたように、例えば宮大工の技は、昔は師匠である親方の技を見て覚えるのが基本で、親方は技を教えてくれません。技は見よう見まねで盗むものであって、手取り足取り教えてもらうものではなかったのです。
これには理由があって、教えるのは簡単かもしれないけれど、教えたことしかできない。応用が利かない。自分から研究しない。想像力が湧かない。気がつかない。発想力や組み合わせる力がないなどなど、いくらでもあるのですが、その根本原因は、失敗が少ないと言うことにあります。

人は失敗の数だけ成長します。

失敗するからどこが間違ったのかが分かります。例えば、鉋(カンナ)がけはもっとも高度な技のひとつです。何より鉋の刃の研ぎ方を間違えたら根本的にきれいにかけることができません。道具の調整と鉋の滑らせ方など、身体の使い方や木との対話など、身体と感覚の感性総動員しないと上手くはなりません。釘を一切使わない様々な木の組み方や加工方法など、教えてくれないからこそ真剣に、本気で盗まないといい宮大工にはなれないわけです。

 

音楽も体験から創られる

音楽の世界もそうです。言語と同じですが、絶対音感がないと音楽の世界では活躍できません。
絶対音感は、生まれつきの才能と考えられていた時代もありましたが、いまで幼少期の適切な時期に学ぶことで誰でも身につけることができると言うことが分かっています。

音楽の才能もどれだけいい音楽を聴いているか、聴いてきたかによって、音楽家としての才能が花開きます。演奏家としての表現は、自分が演奏する楽器のたくさんの演奏を聴いて、それを自分なりに再現することを繰り返し、聴いたことを手先で表現するための脳の神経回路を構築していきます。作曲家も、たくさんの音楽を聴いて、また、そこから感じる世界やその他の人生体験から得た感情と音楽がつながって、音に変換してメロディーが創られます。優れた作曲家は、自身が様々な人生体験があるからこそ、人の情感に訴えるものができるのは、誰もが体験する気持ち寄り添えるからです。それは作詞家も同じです。

 

すべては練習の量と質

このようになんらかの技術を習得するというのは、経験値が大きくものを言う世界だということが分かります。
1970年代、オリンピックの体操の世界では、世界中の選手の多くが10代後半、場合によっては20代前半の選手もいる中で、東欧の選手は10代前半の女子が大活躍していました。それは当時共産圏だった東欧で幼少期からの英才教育が結果につながっていたと言うことです。
例えば日本の選手は、体操を学び始めるのが当時は7歳前後くらいからだったものが、東欧では3歳くらいから教育が始まっていたと言われます。計算してみれば、確かに4歳の差があるわけです。それだけでなく練習量も大きく異なっていました。
その後の研究から、もちろん個人の才能もあるのですが、練習量とトレーニングの質であることの重要性がわかり、現在では幼少期からトレーニングが行われるのは、体操に限らず様々な分野において、将来の才能を開花させるために行われています。

作曲家のモーツァルトは、やはり幼少期の頃から英才教育を受けていて、4歳の頃からレッスンを始め、わずか6歳で女帝マリア・テレジアの前で演奏したと言います。実はモーツァルトを研究している人たちによると、モーツァルトが生涯作曲した音楽の数とモーツァルトの音楽人生を研究すると、あと2、3曲は作曲できていたのではないかという研究があるようで、まだ見つかっていない楽譜がどこかにあるのではないかと考えられていて、それを探している人たちがいるそうです。それが見つかったら、大きな話題になりそうですね。

このように、あらゆる世界で、ある能力を開花させるには、もともとの身体能力性質、感性、好きかどうか、得意かどうかということも大きく関係するのですが、そのセンスがあるなら、練習量と練習の質が、その才能の開花に大きく影響することがわかっています。
多くの天才はもともと天才ではなく、圧倒的な経験値や練習量の先に生まれる天才であって、そんな量と質を経験できる環境やそれを自ら求めるセンス、ニーズ、興味や好奇心、好きだということの賜なんだなと言うことです。

好きこそものの上手なれ」と言いますが。。。「芸は磨かないと輝かない」と言うことですね。

 

高い基準=スタンダードを持つ

さて、デザインの世界も全く同様で、その世界をどれだけ経験したか、習得したか、その質と量に大きく影響します。そして、これもどの世界でも同じですが、実はここが大事です。

あなたの基準=スタンダードはどのレベルですか?

ということ、常に高い基準、ハイスタンダードを目指さなければ、決していいものは生み出せません。基準の低い人は、この程度でいいかということで、適当なものをつくります。しかし、基準の高い人は、それを達成するまで追い求めます。
いいデザインを創るには、たくさんのいいものを見ることが最初です。もっと言えば、いいデザイン、いいもの、いい環境に囲まれて育つことが大事です。

時々、ビバリーヒルズやマイアミビーチ、モナコ、ドバイの超高級な不動産物件を研究のために見るのですが・・・笑(何の研究??笑)例えば、こうした建築物を設計する場合、こうした超セレブの世界を知らなければ絶対に設計できません。いくら彼らのニーズを聞いても、きっとその感性には応えられないし、何十億円、何百億という住まいや施設に使われる素材の善し悪しも、何を使ったら喜ばれるのか?庶民感覚とは全く異なるので、こうした世界を知らなければ創れないわけです。
同じクルマでもロールスロイスをデザインするなら、最高級という世界を知らなければいけないし、そう考えていくと、私たちが提供するWebサイトも、例えばそんなセレブリティをお客様とするビジネスやお店のサイト制作であれば、単なるPCやスマホ上に表示されるWebサイトではなく、その端々に、そのディテールにその感性が宿らないと、彼らのスタンダードには応えられません。彼らの満足度や品質への目利きは、その体験から来ていて、彼らの当たり前の基準がまったく異なるからです。

 

いいものを理解することといいものを表現する技術は異なる

セレブリティの基準の高さやこだわりはともかく、いいデザインを表現するには、やはりいいものをたくさん見て、それらを知らなければ表現することはできません
私の仕事上の体験、感覚ですが、インプット、アウトプットでいくと、見たもの、体験したものの数%程度しか表現はできないのではないかなと思います。
いいデザインをいくつか見てもそれを表現することはできなくて、見ていいと思う感性は、美術評論家とか鑑定家の脳の神経回路と感性ですが、それを表現するとなると、アウトプット=出力するための手を動かす技術の神経回路アウトプットフロー(出力するためのの感性の流れ)の神経回路を創っていかないと、いいものは分かっているのに、出力できないということになります。
ネット上でたくさんのいいものを見つけられるけれど、プリンターが壊れていて、それをプリントアウトできないというのと同じです。出力装置としての技術が養われないとそれはうまくできません。

どんなこともそうですが、優れた技術の習得のためには、優れたものを知ることから。そして、それを表現しよう、創造してみようという意欲や好奇心、感性。そして、質の高いものを達成したいという高いスタンダードがなければいいものは創り出せません。

私たちはWebサイトの制作においては、こうした理解を持ってクリエイティブに臨んでいます。
また、ブランディング、マーケティングにおいても同じです。常に、高いスタンダードで仕事に臨みたいと思っています。

他にも、いろいろな角度で経営やマーケティング、ブランディング、Webサイト制作について、お伝えしていますので、他の記事もぜひ、お読みください。ありがとうございました!

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Inspirater 和田達哉
株式会社マイルストーンデザイン 代表